税法の遡及適用

平成16年の租税特別措置法の一部改正において、土地、建物の譲渡損失の他の所得との通算及び翌年以降への繰越しを年度当初に遡って認めないこととしたことについて、1月29日の福岡地裁判決と2月14日の東京地裁判決で異なる判断がなされたことについて、tihoujitiさん(http://d.hatena.ne.jp/tihoujiti/20080214)とschwantnerさん(http://d.hatena.ne.jp/schwantner/20080214)が取り上げていたのを拝見したが、私はこのケースは、遡及適用の問題ではないのではないかと思っていた。しかし、多くの人はそのように考えていないようなので、この件について触れておくことにしたい。
まず、両判決に関する報道を次に掲げておく。

福岡地裁判決>
マンションの部屋を売った後に改正された法律を根拠に、税務署が所得から売却損を控除しなかった処分の是非が争われた訴訟の判決で、福岡地裁の岸和田羊一裁判長は29日、「税務署の措置は租税法の不遡及(そきゅう)の原則に反し、違憲無効」として、税務署の処分を取り消した。
原告は福岡市の女性。国を相手に福岡税務署の処分取り消しを求めた。
所得税法関連の改正租税特措法は2004年3月末に成立し、土地建物の売却損を所得の控除対象としないのは同年1月1日以降の売買とした。
岸和田裁判長は、憲法が規定する租税法律主義は国民に不利益を及ぼす税の遡及適用を禁じていると指摘。事前に周知され、国民生活の安定性を害さない場合、例外的に許されるとした。その上で、女性のケースについて判断。改正特措法が周知されたといえず、女性は税務署で手続きした際に特措法の内容を知ったと指摘し、適用は不遡及の原則に違反し、違憲無効と断じた。(時事通信2008年1月30日配信
東京地裁判決>
改正租税特別措置法が施行前にさかのぼって適用(遡及適用)されたため、土地・建物の売却損が所得控除されなかったのは違憲だとして、神戸市の女性らが国を相手取り、控除を認めなかった税務署の処分取り消しを求めた訴訟の判決が14日、東京地裁であった。
大門匡裁判長は「今回の遡及適用には合理的な必要性があった」と述べ、国の措置を合憲と判断、原告側の請求を棄却した。 同種訴訟で福岡地裁は今年1月、違憲判決を言い渡しており、司法判断が分かれた。原告側は控訴する方針。
判決によると、原告は2004年2月に大阪府内の土地・建物を売却。その際に生じた損失を他の所得から控除し、総額約1億円を還付するよう税務署に求めた。土地・建物の売却損の所得控除は、04年4月に施行された改正法により、原則としてできなくなったが、改正法の適用は施行からさかのぼって同年1月からとされたため、税務署は控除を認めなかった。
訴訟では、遡及適用が、法律に基づかない課税を禁じた憲法に違反するかどうかが争点となったが、判決は「合理的な必要性があれば、遡及適用は憲法に違反しないものとして許される場合もある」と指摘、「適用を翌年からにすると、節税目的で土地や建物が大量に安価で売却されるおそれがあり、合理性はあった」と述べた。
また、03年12月中旬に新聞で改正が報じられたことを理由に納税者も税制変更を予測できたと判断した。(読売新聞2008年2月15日配信

この判決、特に東京地裁判決において、なぜこのような判断がなされたのかは判決文を見ていないのでよく分からないのだが、上記の租特法改正に関する国会審議の内容から考えてみる。
まず、読売新聞の記事にある「合理的な必要性があれば、遡及適用は憲法に違反しないものとして許される場合もある」としているのは、次に引用する谷垣財務大臣の答弁に現れていることを指しているのではないだろうか。

<平成16年2月26日第159回国会衆議院財務金融委員会
○鈴木(克)委員 ……それから2つ目として、土地、建物の譲渡損失と他の所得との通算及び繰越控除の廃止。
現行では、土地、建物の譲渡所得の金額の計算上生じた損失について、他の所得との通算及び青色申告者の純損失の繰越控除、3年でありますけれども、たしか3年だと思いますが、認められておるというわけでありますけれども、今回の改正で、平成16年分以降の所得税から認められないということになるわけでありまして、そうすると、納税者にとって不利益な変更がなされることですよね。それから、改正案が年度の初めにさかのぼって適用されるという、この2つについての見解、前にもこの議論はあったわけでありますが、改めてもう一度伺っておきたいというふうに思います。
○谷垣国務大臣 損益通算が廃止されるのは問題ではないか、特に、不利益をさかのぼらせる、不利益不遡及という関係で問題ではないかという御指摘でございました。
先ほど、これは、税率の引き下げと、それから特別控除と、この損益通算を一つのパッケージとしてやるというふうに申し上げたわけでありますけれども、土地、建物の譲渡益というのは、取得しましたときから相当時間がかかって益であったり損失が出てくるわけですが、一体いつそれを発生させようかということになりますと、その所有者が判断して、もう売ろう、こういうことで実現ができるわけでございますね。だけれども、一般の所得というのは、その年一生懸命事業をやったり、その年一生懸命働いて給与をもらったりということで生じる。性格が違うので、この二つを通算するということは不合理ではないかという御批判が前からございまして、これは諸外国でも大体そういうことになっているのじゃないかと思います。
そこで、今までの税制は、譲渡益の方は26%で比例税率によるわけですけれども、分離課税でいくわけですけれども、譲渡損の方は最高税率50%で総合課税される。これはいかにも不合理な制度であるというので改正をしようということで、そのねらいは、先ほど市場の活性化ということを申しましたけれども、今までの制度ですと、やはりそれぞれ自分の事業をやったときの損益を、税をできるだけ節税の見地から、いわば売るというような、必ずしも土地収益と関係のない売買が起こってくる。それに対して、これを今このパッケージのような形で改めれば、やはり土地の使用ということに着目した売買がもう少し起こってくるのではないか、こういう観点でございます。
そこで、不利益不遡及ではないかという御疑問は予算委員会でもたびたび御指摘があったところで、私は、そこでの答弁は、何というか形式的な答弁を申し上げたと言ってはいけないんですけれども、かなり形式的にお答えをさせていただいたわけですが、もう少し実質的に申し上げますならば、不利益不遡及というのは、一つの考え方は、たしか憲法39条だったと思いますが、刑事法の場合に一番厳格に適用されるわけでございますけれども、租税法の場合には、確かにこの不利益不遡及ということが言われますけれども、一定の合理的な目的があれば例外を許さないというようなものではないわけでございます。
そこで、合理的な目的なり理由があるかということになるわけですが、一つは、確かに、ある意味での土地を売った方の期待に反する面が、さかのぼったので反する面があることは私は否定できない事実だろうと思います。しかし、大体そういうことに敏感な方は、12月に政府・与党それぞれ税制改正大綱というのを発表しまして、大体こういう形になるという作業のもとに、今度は法律をつくって国会にお出しして3月にいくということで、ある意味でそういうアナウンス効果といいますか、期待されている方も、ああ、なるほど、これはこうなるかもしれないぞという事実上の面があるんだろうと思います。
それに加えまして、先ほど申しましたような、税率を下げて、そして土地の収益というものに着目した取引をバックアップしてやっていくということに、これは現在の経済上から見ても非常にメリットがある、合理的な理由がある、こういうことを総合的に判断して、このような解決を、解決といいますか税制改正をさせていただいたということでございます。

そして、「03年12月中旬に新聞で改正が報じられたことを理由に納税者も税制変更を予測できた」としているのは、次のとおり海江田議員が取り上げているが、金子宏教授の著書にそのような件があるからなのではないかと思う。

<平成16年2月12日第159回国会衆議院予算委員会
○海江田委員 やはり不利益不遡及の原則を守ろうとすることは大変大切なことでありまして、ですから、普通でしたら、例えばさっき私がお話をした年金課税の強化の問題も、これは、税法は暦年、所得税法人税は暦年でやっておりますので、そうするとどうするかというと、来年の実施は、例えば来年の1月1日であるよとか、来年の4月1日であるよとか、そういう例がほとんどなわけですよ。
しかも、その間にやはり周知徹底をさせなければいけないということで、財務大臣も、弁護士さんですが、税理士さんの資格もお持ちだというふうに聞いていますけれども、私らも昔読んだことがあります「租税法」という法律、金子先生という法律の、これは大変な、「租税法」というのはそんな意味では税法のバイブルみたいになっているわけですけれども、あの中でもこういう引用があるんですね。
「租税法の法源と効力」「なお、所得税法人税のような期間税について、年度の途中で納税者に不利益な改正がなされ、年度の始めに遡って適用されることがあるが、それが許されるかどうかは、そのような改正がなされることが年度開始前に」この場合でいうと、暦年でやっていますから12月31日までに、「一般的にしかも十分に予測できたかどうかによると解すべきであろう」と、これはもう当たり前のことですけれども、言っているわけですよ。
そうなりますと、今度の場合は、先ほどもお話をしましたけれども、たしか去年の12月の17日、これは与党の皆さん方はおわかりだろうと思いますが、与党の税制改正の大綱の中で初めて、この損益ができなくなりますよという項目が出てきたわけですよ。その前の11月に政府税調がやっておりますけれども、11月27日の政府税調の平成16年度の税制改革に関する中間報告の取りまとめ、それから12月15日にこの取りまとめを「平成16年度の税制改正に関する答申」という形で発表しておりますけれども、この中にも一切そういうことは書かれていないんですよ。
もちろん、たまには一切書かれていないことも出てきますけれども、やはりこの不利益不遡及の原則と照らし合わせて、納税者にとって不利益になることが、そういう意味では、12月17日に初めて出て、実は私も翌日の日経新聞を見ると、ほんの小ちゃく2行ぐらい書いてあるんですよ。これでもってこれから法律を通してしまって、1月1日にさかのぼるよということは、どう考えたって無理があるんですね。その点についてはいかがですか。
○谷垣国務大臣 先ほど私が申しましたように、これは暦年課税の仕組みをとっているわけですから、個々の売買の段階で決まるわけではないんで、一年終わった段階で決まるということで、今委員のおっしゃったような不利益が不遡及という問題は、私は発生しないんじゃないかという気がするんですね。気がするというのはちょっとあいまいな言い方でございますが、問題はないと私は考えております。
○海江田委員 委員長も首かしげておられますけれども、これは違うと思いますと言われても、納得のいくようなやはり説明をしてもらえば、あるいはこういう例がありますよとか、そういうことで言っていただければ、ああそうですかということになるんですが、今の話で私は違うと思いますということだけ言われたんでは、全然これは納得できないですね。

金子教授の著書を見ていないこともあり*1軽々に物を言うことはできないのだが、公布前でも変更を予測できれば遡及適用してよいということについては、ちょっと首をかしげてしまう。
では、冒頭に触れたように私が遡及適用の問題ではないのではないかと考えているのは、上記の衆議院予算委員会の谷垣財務大臣の答弁にも若干現れているのだが、長谷川彰一『法令解釈の基礎』(P308〜)に次のように記載があることからである。

一方で、前に述べました所得税のように、例えば、ある年の3月に所得税法の一部改正が公布、施行され、税率が変更された場合で、その税率がその年の分の所得税から適用されるときを考えてみましょう。所得税は、一般的には、その年が終了した翌年に確定申告をして納めるべき税額が確定するわけですから、改正後に納める所得税の計算上、改正前の期間に発生した所得に係る税率は改正後の税率によるということになりますが、実際に納めるべき所得税の額がさかのぼって変わるということではありません。その意味では、一種の遡及適用ではありますが、過去に確定した具体的な権利義務を変更するものではないともいえます。

実際、上記の国会審議において次のような内閣法制局の答弁もある。

憲法84条におきまして、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」こういう規定がございます。刑罰法規につきましては、憲法39条におきまして遡及適用あるいは事後法が絶対的に禁止されておりますのと異なりまして、憲法84条の場合には、いかなる場合においても納税者に不利益となる要素を含む法律は許されないというものではないというふうに考えられております。
例えば、今の損益通算でございますが、損益通算のように個々の譲渡等があったときに法律の適用が行われるものではなくて、その年の終了によりまして納税義務が確定する、年間の所得金額を計算する際の計算の過程において適用が行われるというものにつきましては、既に成立した所得税の納税義務につきまして不利益な変更をするものではないということもございまして、過去におきましても、例えば一定の資産につきまして、その譲渡損失につきまして損益通算を廃止するという場合に本法案と同様の取り扱いが認められてきておりまして、こうした取り扱いが許されないというものではないというふうに考えてきているところでございます。(平成16年2月27日第159回国会衆議院財務金融委員会、梶田内閣法制局第三部長答弁)

しかし、これも冒頭に触れたのだが、この件について取り上げている税理士の方のブログなども幾つか拝見したりしたのだが、どうも一般的には不利益不遡及の原則に反し違憲と考える方が多いようである*2
さて、今後どのような判断がなされていくことになるのだろうか。

*1:正確に言うと、学生時代に碓井光明先生がお越しになって行われた租税法の講義を受けたことがあり、そのときには金子先生の著書を使われたので、過去に持っていたことがあるのだが、まったく覚えていないということである。

*2:確認はできなかったが、租特法改正については日弁連も否定的な意見書を出しているとの報道もなされたようである。