新安保法に関する雑感

19日未明にいわゆる安保法案が成立した。私は、安保法制に精通しているわけではなく、十分理解しているとも言い難いのだが、国民一般にも大きな関心を呼んだ法案でもあるので、私自身が感じたことを書き留めておくこととする。
安保法案に対する批判は、法制的見地からすると、(1)立法事実に関するもの、(2)法案の内容に関するものに大別され、さらに言葉は悪いが、(3)取り上げるに値しないものの3つに分類して考えるのがよいと思う。
(1)の立法事実に関する批判は、安保法案を提出する必要がないとの主張で、政策的見地からする批判である。この批判の適否についてはコメントする知識はないのであるが、政策的な必要性について責任を持つのは所管省庁であり、法案審査をする内閣法制局の立場からすると、一応その必要性があるという前提に立たざるを得ないのではないかと思う。
(2)の法案の内容に関する批判が、法案が違憲であるとする主張であるが、その主張については、長谷部恭男『検証・安保法案』において、首都大学東京の木村草太准教授に対するインタビューとして掲載されている説明が分かりやすい。木村准教授は、憲法は軍事権を排除し、自国防衛以外の理由での実力行使を禁止していると解さざるを得ないので、軍事権の行使である集団的自衛権の行使は憲法に違反するとする。そして、説明の仕方としては、権限規定がないという説明(軍事権を認める憲法上の規定がないので、行政はそれを行使できないとする組織法的説明)と憲法第9条で禁じられているという説明(作用法的説明)の2つがあり、どちらによるかは、論者の好みによるとしている(前掲書P11〜参照)。
私は、組織法的見地から問題があるかどうかは判断できないのであるが、新安保法がこれまで個別の事案ごとに立法で対処してきたものについて恒久法で対処しようとしたため、自衛権発動の要件として取り上げられている存立危機事態の概念が不明確になってしまったことにより違憲の疑いがある、すなわち作用法的見地からするとやはり問題があるのではないかと感じている。この存立危機事態は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と定義されているが、「我が国の存立が脅かされる」「明白な危険」といった用語を並べてみても概念としてはっきりせず、このような場合の立法技術的な解決方法である例示をするということもなされていないので、政府の解釈によっていかようにでもなり得るという面は否定できない。
振り返ってみると、政府(というよりも官邸と言うべきかもしれないが)は、(1)をことさら重視し、(2)への配慮が足りなさ過ぎたということは、衆目の一致するところだろう。
ちなみに、(3)の取り上げるに値しない批判は、例えば新安保法が徴兵制につながるといった批判である。徴兵制をとるのであれば、さらに法整備が必要であろうから、これは過剰な反応である。もちろん、こうした批判をするのも自由なのだが、今回の安保法案に戦争法案というレッテルを貼り、その反対を市町村議会議員選挙の候補者が主張しているのを聞いたときは、さすがに違和感があった。市町村議会議員になって何をどうしようというのだろう。