論理的な文章

最近、マスコミ関係者が執筆する書籍で、その論理が気になる文章を2つ程目にしたので、それを取り上げる。
1つ目は、少し前に出版された書籍になるが、日本経済新聞社編集の『官僚 軋む巨大権力』であり、同書(P403〜)には、1950年代後半、できるだけ多くの乗客を乗せるため街中を猛スピードで疾走する「神風タクシー」が社会問題となったことについて、次のように記載している。

58年1月30日には、東大赤門前で東大工学部4年生で東大サッカー部主将を務める五十嵐洋文さんがタクシーにはねられた。運転手が急スピードで前のバスを追い越そうとしてハンドルを切り損ねたのが原因だった。当時の新聞はこの事故を詳しく報じ、社会的な神風タクシー追放ムードを高めるのに一役買っている。
何が神風タクシーを生んだのだろうか。55年が大きな転換点だった。7月、運輸省は不況下の運賃値下げ競争に苦しんでいたタクシー業界の要望を入れ、主要都市での新規免許・増車をストップする自動車局長通達を出している。現在のタクシー行政の柱である同一地域・同一運賃制度の導入が文書で正式に示されたのも同じ月だった。
こうした規制強化の結果、値下げ競争に苦しんでいたタクシー業界は一息ついたが、景気が回復するにつれ急増する需要に供給が追いつかない事態が生じた。運賃は一定なので、収入増を図るためには多くの顧客をこなす必要がある。これが厳しいノルマを生み、無謀なタクシーを街にあふれさせた。
運輸省は58年6月、世論に押される形で無謀運転の原因とみられたノルマの禁止や仮眠施設の設置を義務付ける自動車運送事業等運輸規則の一部改正を公布施行した。規制政策の失敗が生んだ不都合を新たな規制強化で乗り切ろうとしたわけだが、「本質的な解決策にはならなかった」(一橋大学の山内弘隆助教授)。
神風タクシー問題が鎮静化したのは、59年9月に運輸省が個人タクシーの営業を認可し、需要に見合った供給が生まれてから。規制当局にとって皮肉なことに、問題解決の決め手となったのは規制緩和だったわけだ。

上記の文章では、神風タクシーを生んだ原因は、需要に供給が追い付かない状況で、運賃が一定だから、収入増を図るため厳しいノルマを生んだこととしている。結果として、運輸省が個人タクシーの営業の認可を始めた時期に問題が鎮静化したことから、一見正しい分析をしているように思えるが、この文章では、需要に見合った供給が生まれると、経営者はことさら収入増を図ろうとしなくなるということを言わなければ論理的とは言えないだろう。運輸省は、ノルマの禁止の外、仮眠施設の設置を義務付けたのであるから、当時問題となっていた行為は、暴走行為だけではなかったのではないだろうか。それなのに、その暴走行為だけを取り上げているため、このような文章になっているのではないかと感じる。
2つ目は、産経新聞論説委員の阿比留瑠比氏の著書『偏向ざんまい GHQの魔法が解けない人たち』であり、同書(P44〜)には、昨年成立した安保法制に関し、次のように記載している。

……憲法学者である小林節・慶大名誉教授は6月の衆院平和安全法制特別委員会で、学者の立場を次のように説明している。
「(われわれは)ただ条文の客観的意味はこうなんだという神学論争を言い伝える立場にいる」 「神学でいくとまずいんだ、ではもとから変えていこうと政治家が判断することはあると思う」
「われわれは字面に拘泥するのが仕事で、それが現実の政治家の必要とぶつかったら、それはそちらで調整してください。われわれに決定権があるなんてさらさら思っていない」
もっともな話であり、率直な表明だと感じる。問題は、学者の「神学論争」を神の啓示であるかのように絶対視し、それに逆らうことは一切まかりならんとばかりに報じてきたメディアや、政治家として現実に向き合う責務を放棄して学者の意見に頼った一部野党議員の方にあるのだろう。
6月の衆院憲法調査会に出席した3人の憲法学者が、そろって安保関連法案は憲法違反だとの意見を示した後の国会の論戦や多くのメディアの論調は、今振り返っても異様だった。
日本の外の世界でのさまざまな動きや厳しい現実には目をつむり、ひたすら内向きで不毛な異端審問のような様相を呈していた。

上記の文章は、結局、学者が何を言おうと、実際に起こっている問題に対処するためには何をやってもいいのだと言っていることになる。少なくとも、著者が言う「現実」を具体的に説明した上で、安保法制を違憲とする意見に対する法律論的な反論をしてもらわないと、論理も何もなく、単なる見解の相違と言っているのに過ぎないことになる。