条例事項・法律事項(下)

どのような事項を法律で定めるべきかについて、林修三『法令作成の常識』と大島稔彦『法令起案マニュアル』の2つの文献の記述を取り上げることにする。まず、kei-zuさんも取り上げていた、林修三・前掲書(P5〜)には、次のような記載がある。

法というものは、国家などの権力を背景として、あることをすべきこと、あるいはしてはならないことを定めて、人々に対しその遵守を強制し、もし人がその強制に反すれば刑罰その他の不利益をこれに課するということをその本質とするものといえるであろう。国家その他の公的団体の公権力を背景として、人がそれを守り、それに従って行動することを強要する規範である。そして、法令を作るということは、こういう法あるいは法規範を成分化することである。
 (中略) 
その意味で、法令を作るにあたっては、それが本当に法令としてとりあげるのにふさわしい問題かどうかをよく検討して、その性質上、法令とすることに真にふさわしいものだけをその対象にとりあげるようにすべきである。道徳律や宗教上の戒律ないしは会社、組合などの規約にまかせてよいこと、まかせるべきものを、みだりに法令の分野にとりこむべきではないし、また、政治、政策の一般的方針にまかせるべきこと、行政措置、予算措置などだけで実行できるものをみだりに法令の対象にとりあげるべきものではないというべきであろう。要するに、法の本質であるその強要性を全くもたないような内容の法令を作ることは避けるべきだということである。

この考え方は、前回(「条例事項・法律事項(上)」)取り上げた閣議決定の内容とほとんど変わらない。
引き続いて、林・前掲書(P7〜)は、次のように記載している。

行政機関の行政措置などだけでできるような何かの事業……についての5カ年計画の樹立、実施などのことも、それがよほど政治的に重要な意味をもつものでない限り、法令の内容にとりこむのは、あまり適切でないといえる。

つまり、政治的に重要な意味を持つものであれば、法令の内容に取り込むことを許容しているのである。前回取り上げた中央省庁改革等基本法は、この政治的に重要な意味を持つものといえそうである。
次に、大島・前掲書(P7)は、「法の規範としての特徴の1つは、強制の要素が強いことである」として、「人々の心の問題や自発性が尊重される分野においては、法によって強制することは適当ではない」としているが、これは林・前掲書と同じ考え方である。しかし、大島・前掲書(P8)の次の記載は、林・前掲書とは異なる記載となっている。

例えば、補助金の交付や利子補給といった優遇策も法によらなければならないが、これは強制力を背景に持つものとはいえず、財政法律主義や国民による(議会を通じての)行政監視といった要請に基づいて法という形式をとるものである。…… 
このように、現代国家においては、必ずしも法=強制力という図式が成り立つわけではなく、強要性以外の要素や理由からも法適格性が付与されることになる。これは、広く、議会という国民の代表機関が定めることが民主主義の論理から要請される、あるいは適当とされる、という判断に基づく法適格性ということができるだろう。

この違いは、本来法律で定める必要のない事項を法律で定めたことに対する後付の理由のような感じもするが、何を法で定めるべきかは、時代によって変わるものだということが一応言えそうである。
ただし、いわゆるユニーク条例については、上記の2つの文献が共に法で定めるべきでないとしている人々の心の問題や自発性が尊重される分野に踏み込んできているといえるのではないだろうか。そうすると、このユニーク条例については、振り返って条例とは何か、また法とは何かという問題を考え直さなければいけないものなのかもしれない。