条例立案の難しさ

『法学セミナー』に連載されていた「法令エッセイ クロスセッション 国法・自治体法の現場から」の最終回で、吉田利宏氏は、国法と条例の違いを次のように述べている。

実行性確保の問題は、もちろん国法にもありますし、国でも問題事例を集めます。ただ、国法の場合には、これらをすべて解決しようなどとは考えていません。……具体的な事例を集めるのは、こうした事例に共通する問題を抽出するためなのです。「どうも、全国的にAとかBとかの問題があるようだ」。このように問題をいったん抽象化しておいて、解決策のバリエーションをいくつか考え規定するのです。……
一方、自治体の場合には今、目前で困っている人がいるのですから、その問題の処方箋となる作り方をしなければなりません。もちろん条例の場合、一般化するようお化粧はしますが、そもそも実効性に対する姿勢が異ならざるを得ないのです。

国の法制と自治体の法制に上記のような違いがあるのであれば、法律と条例の体裁は当然に異なってくるはずである。しかし、実際に条例の立案をする際には、法律の体裁を真似ようとしてしまう。
例えば、当面調査権限だけ必要であるため条例を立案しようとする場合、目的規定を置くことはともかくとして、法律を見ると、理念規定とか住民等に対する責務規定を置いているものが多いので*1、そのような規定を置いて、そうすると、調査権限だけでは寂しくなってくるので、現状では不必要な規制まで書こうとする。そして、出来上がった条例を見ると、焦点がぼけてしまい、何のための条例なのか分からなくなってしまうことになる。
私は、端的に、問題を解決するのに必要な規定のみを置くようにすべきではないかと感じている。その意味で、上記の「一般化」も、以前は意識したことがあったが、今は条例の場合にはあまり意識しなくてもよいのではないかと思っている。そのように条例をシンプルなものとするようにすることによって、条例立案の難しさは多少なりとも解消されるのではないだろうか。

*1:法律でも、必要性云々ではなく、パターンとして規定しているだけのように感じることがある。