法制執務に向いているのは、文系か理系か

私は、文系の大学を出ているのだが、高校の頃はどちらかと言えば理系科目の方が成績は良かったと思っている*1。だからというわけではないが、法制執務というのは、どちらかというと理系向きの業務ではないかと感じるのである。
私の場合、例規審査をやるようになって、一部改正はとっつきやすかったのだが、新設、特に理念規定などを書く必要があるようなものについては、以前も記したが(「「とともに」という用語について」)、非常に苦手であった。
一部改正というのは、『「○○」を「××」に改める』とか『「○○」を削る』といった法制執務上のルールがあるが、これを方程式と考えれば、方程式に文字を当てはめていけばいいわけだから、まさしく数学の世界である。さらに、その改め文を作ることは、パズルのパーツを組み合わせていくようなゲーム感覚でやっていたようなところもある。
これに対し、新設の場合は、少なからず国語力がある人の方がいいことは間違いないだろう。だが、新設であっても、通常はある程度パターン化されている規定を持ってきて、語句を入れ替えていく作業が多くなるから、上記の数学の世界と共通するものがある。
しかし、基本理念のような規定は、いきおい長文になりがちであるし、他の規定を参考にはしてもオリジナルの要素が強い部分であるため、一層国語の要素が強くなってくる。ただ、例規の文章は人を感動させる必要はないわけだから*2、それほど国語力がなくともなんとかなるものである。
私の場合、当初は、文章というものを頭から何となく読んでいた。まあ、普通の人が書く文章だと、意味が分からないということはないので、漫然と読んでいるからその文章の良し悪しが分からなかったのだが、次第に文章を分解して読めるようになってから、それが例規の文章として良いか悪いかが何となく分かるようになってきた。この文章を分解して見るということは、含蓄のある文章を味わうというような国語的な意味合いよりも、機械的に見ていくわけだから、どちらかというと理系的なものの見方のような感じがする。
そして、その際に私が特に意識していたのは、具体的には次回に記載することとするが、語句が並列している場合に、それぞれの語句へのつながりなどを見て、並列している語句の片方がなくてもきちんと文章になっているかどうかということである。
私自身、あまりアレルギーを感じることなく法制執務の仕事ができたと勝手に思っているのだが、それは、そうした法制執務の仕事の性格によるのかなと感じている。
ただ、上記のように、文章を素直に見なくなったことも事実である。その結果かどうかは知らないが、話す言葉が怪しくなってきた。最近は、文章というよりもキーワードとなるような単語だけを発して、言葉と言葉を繋ぐ言葉が思い浮かばないことがある。これは、法制執務をやった弊害ではないだろうか。

*1:では、なぜ文系に行ったのかというと、簡単に言ってしまうと、そのときはこれといってやりたいことがなかったということなのである。

*2:山本武『地方公務員のための法制執務の知識(全訂版)』(P144)には、「法令の文章として要求されるものは、人の心をゆりうごかす美しい文章よりも、一字一句をゆるがせにしない明晰な言語的表現である。」とある。