外来語の使用

条例の題名に「インセンティブ」という言葉を使うということも考えているがどうだろうと相談されたことがある。
例規に外来語の使用をひかえるべきであるということは、ある程度共通した認識であろうと思う。一般的な考え方としては、次のようなものになるのであろう。

法令においては、外来語が単独で用いられる場合も、複合語として用いられる場合も、その用法が広く日常用語として定着しているかどうかがそのポイントになるのである。もしも、日常用語として定着していないと考えられるときは、後述するように、音訳するか、意訳するかして、片仮名書きの外来語ではなく、漢字に置き換えたものが用いられることとなる。(田島信威『法令用語ハンドブック』(P167〜))

ただ、具体的な場面では、使うべきかどうかの判断に迷うことがある。
近年の法令で、こんな外来語も使うのだと驚いた記憶があるのが、「コンテンツ」という言葉を使った「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律」である。これは、議員立法であるが、その用語を用いたことについて、立案者は次のように説明している。

「コンテンツ」という用語については、他の法律において使われた例はないが、例示にあるような映画からコンピュータゲームまでといった幅広い内容を端的に表す日本語が存在せず、また、社会的に「コンテンツ」という用語が一定程度定着しつつあることから、「コンテンツ」という用語が使われている。(矢矧博史「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律」『ジュリストNO.1276』)

ただ、「コンテンツ」という言葉を使うことについては、やはりと言うべきか、次のような批判的な見解もある。

国立国語研究所がもっともわかりにくい外来語であるとして言い換え提案をしている「コンテンツ」という用語が何の抵抗もなく法文に使われるような状況は、法令の形式や法令の用語の使い方についての考え方に重大な変化が起きていることを感じさせる。(浅野善治「立法の過誤―その背後にあるもの」『ジュリストNO.1275』)

傾向としては、閣法の方が、外来語の使用については厳格に考えているといえるのではないだろうか。
例えば、総合保養地域整備法の立法過程において、法律の題名に「リゾート」という言葉を使いたいという担当省庁の要求に反対した大森政輔氏(当時の内閣法制局第二部長)は、次のように述べている。

わが国は、包容力ある漢字文化を有しているのだから、そのような概念を漢字で表記できないはずはない、その努力をすることなく、生煮えの外来語に飛びつくべきではないと、反対し続けました。(大森政輔『二○世紀末期の霞ヶ関・永田町―法制の軌跡を巡って―』(P254))

また、内閣法制局第一部長である山本庸幸氏は、「ストーカー行為等の規制等に関する法律」について、次のように述べている。

「ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成12年法律第81号)」という議員提出の法律案が成立したと聞いて、本文中だけでなくその題名に、かなり思い切った外来語を使ったものだと驚いた。……「ストーカー」という外来語は、現在のところは日本語として成熟したものとはいいがたいことからして、著者が立案を担当したならば、外来語を法律の題名にするには、相当躊躇したはずで、結論として平仮名の題名になっていたと思うのである。(山本庸幸『実務立法技術』(P443))

さらに、外来語は本文よりも題名で使うほうが慎重にすべきという考えがあるようである。同氏は上記のほか、高度情報通信ネットワーク社会形成基本法の審査を担当したときに、「インターネット」という用語は本文で定義をしないで使用したが、「それでも、『インターネット』を法律の題名に使用するのは、やや時期尚早ではないかと思っていた」(同書(P442〜))と述べている。
私は、こうした考え方に異論を唱えるつもりはないが、無理をして漢字にしてみてもどうかなというように思っている。例えば、環境影響評価法で用いられている「環境影響評価」という言葉について、一般的に「アセスメント」としか言われないのであれば、意訳して漢字を使ってみてもあまり意味がないような感じがしている。つまり、分かりやすさを第一に考えるべきで、外来語の意味が普通にイメージすることができれば、例規に用いてもいいのではないかと思っている。
ところで、上記の相談については、「インセンティブ」とはどういう意味が説明できるか聞いたところ、相手がうまく説明できなかったので、では、使うべきではないのだろうねということでその場は終わり、幸いなことに用いられることもなかった。