長の多選禁止条例

今「例規の形式」について記載しているところですが、神奈川県における知事多選禁止条例が制定され話題になっているので、ちょっと取り上げてみることにします。
長の在職期間を条例で制限することに関しては、次のような問題があるとの指摘等がされていると思う。

  1. そもそも法的に可能なのか。
  2. 可能だとした場合には、どれくらいの期間とするのが適当か。

その他、その制限を在任期数で行うこととする場合には、任期中途で辞めた場合の当該期の扱いをどうするのかといった技術的な問題もあるかと思うが、ここでは1に限って取り上げてみることにする。
長の多選禁止については、松沢神奈川県知事のサイト「神奈川県知事松沢しげふみ公式サイト」に掲載されている論文から参考となる部分を引用しておく。

法律あるいは条例で多選禁止することは、憲法違反ではないかという反論があろう。しかし、衆議院法制局の判断にも示されているように、知事多選禁止は14条の平等原則、15条の普通選挙の保障、22条の職業選択の自由、93条1項の直接選挙権のいずれの条文にも抵触するものではなく、むしろ民主主義の本質に沿うもので憲法の趣旨に合致すると積極的に評価されている前例がある。法律ではなく条例による禁止は現行法体系との整合性において多少の疑問は残ることは後述するが、条例で禁ずることも少なくとも違憲ではないという立場を前提としている。
(略)
多選禁止の条例化が実行に移されるとしたら、地方自治や選挙を監督する自治省は、どのような態度をとるのであろうか。私は神奈川県市町村課(選挙管理委員会所轄)を通じて自治省選挙課に問い合わせてみた。その見解は「地方自治法17条では、長の選挙については別の法律(公職選挙法)の定めるものとしている。公職選挙法では、長の多選禁止規定は定められていない。また、条例で定めることについて公職選挙法に何らの委任規定もない。以上の理由により、長の多選禁止について条例で定めることは、公職選挙法に抵触するものと思料される」というものであった。

この問題については、法律なりその委任によって条例で定めることは合憲であるとするのが一般的な考え方であるといっていいようである。そして、その委任がない場合には、やはり形式的には上記の総務省の見解が適当だと思う。
そもそも、なぜ多選制限が必要かということについては、総務省に置かれた「首長の多選問題に関する調査研究会」の報告書(平成19年5月)では、次の2点を挙げている。

  1. 長は直接選挙で選ばれるが故に強い民主的正統性を有し、また、幅広い事務を執行する権限を有する独任制の機関でその権力が強大になりやすいという、制度的・構造的に権力が長には集中しやすいという要因が内在している。このため、多選制限をすることは、長の権力をコントロールする合理的な手法の一つとなりうる。
  2. 長の日常の行政執行は、事実上選挙運動的効果を持っており、選挙の実質的な競争性が損なわれているとすれば、選挙における競争性を確保し、政策選択の幅を広げる手法の一つとして多選制限を位置づけることができる。

そして、この報告書は、立法政策として、法律によって一律に制限するという考え方も、多選制限をすること自体の是非や多選制限の具体的な内容は条例に委ねるという考え方もあり得るとしている。しかし、長の多選の弊害を上記のようなものと考えるのであれば、それは多かれ少なかれどこの自治体にもあり得るのだから、多選制限の是非まで条例に委ねるという考え方までは結び付かないような感じがする。
法律ではなく条例で定めるべきということについては、上記の松沢知事の論文には、次のように記されている。

わが国には、3,300にのぼる大小さまざまな地方自治体が存在する。都道府県を見ても、人口60万人強の鳥取県から1,100万を超える東京都まであり、人口規模や政治風土が大幅に異なり、その統治システムを画一的に論じるのは無理がある。「市長さんが風邪をひいて今年の祭りには来られそうにない」といった噂がその日のうちに町中に広まるような小さな自治体では、何といっても住民が首長をコントロールできる。ところが、神奈川県のように人口700万を超え、特定の人を除いては知事など何年もお目にかかったことがないという大規模自治体では、多選禁止を考えなくては自治が機能しなくなるのはこれまで述べてきた通りである。現在の地方自治は、人口も社会状況も異なる自治体を画一的な基準で統治しようとしているところに問題がある。地方の時代とは、町づくりにとどまらず、地方自治のしくみにおいても独自性を尊重すべきであると思う。それこそが地方自治の本旨であると確信している。その意味で、それぞれの地方の政治状況、政治風土を熟知した住民の代表である地方議会が、多選禁止の必要があると判断したならば、自治体固有の条例によって制度化するのが望ましいのではないだろうか。多選の弊害の内容は、その地方の政治風土によって違ってくるのであろうし、禁止の制度化を行うか否か、また、どのように行うかは地方自治体固有の問題であり、自治体が主体的・自発的に取り組むべき問題なのである。また、そうすることによって、知事多選禁止の反対論拠の一つである「知事と市町村長を区別する理由がない」という意見も正当性を失うことになる。

上記でも触れられているが、やはりこの問題は、地方自治の本旨に照らしてどう考えるかということになってくると思う。そうすると、地方自治の本旨が住民自治と団体自治であるとするなら、住民自治を制約してしまうことは間違いないだろう。
多選の弊害というものは、一般的にはいろいろ言うことができても、やはり長となった人によって左右される問題だと思う。したがって、後々長になる人も多選となって弊害が生じる可能性があるから条例を制定するのだということを取り上げれば、その人にとっては余計なお世話だというように思えて仕方がない。そうすると、法律の委任がなくても条例で定めることを正当化する根拠は、住民自らが、多選制限が必要だと判断して、条例の制定を望んだということ*1であるとすれば、まあそれなりの根拠にはなるのかなという感じがしている。それは、現行の制度でいうと、条例制定の直接請求になってしまうのであろうが。

*1:分かりやすく言うと、悪い言葉になるが、自ら適切な判断ができなくなる場合があるから、多選制限という制度で担保しておくのだという住民の意思ということ。