自治体の例規審査に関する一考(上)

広島市暴走族追放条例に関する2007年9月18日の最高裁判決については、いろいろ議論がされているところだが、自治体の例規審査という観点からすると藤田宙靖裁判官の反対意見で次のように述べられている点について考えさせられることが多いであろう。

多数意見もまた「本条例がその文言どおりに適用されることになると,規制の対象が広範囲に及び,憲法21条1項及び31条との関係で問題があることは所論のとおりである」と指摘せざるを得なかったような本条例の粗雑な規定の仕方が,単純に立法技術が稚拙であることに由来するものであるとの認識に立った場合に,初めて首肯されるものであって,法文の規定そのものから多数意見のような解釈を導くことには,少なくとも相当の無理があるものと言わなければならない。

ところで、片山善博鳥取県知事は、2006年1月27日の日本記者クラブにおける記者会見において、同県の人権侵害救済条例について、人権侵害の定義があいまいとか表現の自由を奪う等の問題があり、弁護士会からも反発があったことに関し、次のように述べている。

分権時代というのは、それぞれのひとつひとつの立法機関が独自に立法を行うということが前提なんですね。そうすると、必ず玉石混交といいますか、試行錯誤といいますか、みんながみんな内閣法制局を持っているわけじゃありませんから、へんてこな条例が出てくるんですね。
アメリカだってそうだと思うんですよ。州とか自治体でいっぱい、へんてこりんな、矛盾するような法律が出てきますよね。日本でもそれはあり得るわけです。それを認めますか、というところがひとつの論点なんですね。
今回の一連のドタバタをみて、やっぱり完璧でないといけないというのが、例えば法曹、弁護士会の皆さんなんかから出てくるわけです。一切懸念がないようにしなければ、条例はスタートさせちゃいけないという議論が出てくるんですね。
そうなると、分権時代の自治立法というのは否定されざるを得ないのではないか、と思ったりするわけです。やっぱり欠陥のある条例というのは出てくるんですね。それを許容する社会の度量がなければ、分権時代というのはまず無理だなと思いますね。
じゃあ、欠陥商品が出てきたらどうしますか、というのが是正の仕組みです。どうやって是正するかというと、例えば変な欠陥の立法が出てきて変な運用がなされたときに、それは立法機関が立法自体を変えてしまうという是正が、まずあるはずです。それがなかったら今度は司法、裁判でもって「憲法違反ですよ」ということで否定される。これが違憲立法審査権ですね。
我が国ではそういうバックアップ機能がちゃんとビルトインされているわけです。だからそんなに心配することないな、とみんなが思うかどうか、ということが非常に重要な論点だと私は思いました。それが立法と司法との関係ということになるわけですね。
(会見速記録・http://www.jnpc.or.jp/cgi-bin/pb/pdf.php?id=212

法制執務に関する書籍に自治体における例規審査のあり方について書かれているものもあるが、それらは自治体において例規審査部門が必要だということが前提とされている。しかし、上記の片山前知事の見解を推し進めていくと、自治体の例規審査部門は必要ないということにもなりそうである。
では、自治体の例規審査はいかにあるべきなのであろうか。この点について、個人的な見解を次回に記してみたい。