制裁として用いる公表に関するメモ(10)

法律における公表制度については、中小企業の事業活動の機会の確保のための大企業の事業活動の調整に関する法律(「制裁として用いる公表に関するメモ(3)」参照)等では、国会において政府原案では実効性が挙がらないとして、罰則の追加等の制裁を強化する修正がなされているが、国会には罰則志向なるものがあるようである。例えば、石村健『議員立法』(P62)では、次のように記載されている。

一部の議員(政党)の側に、法律万能主義ないし法律至上主義ともいうべき傾向が存在することを指摘することができる。それは法律の効用を過大視するとともに過信する性向である。罰則を定めればほぼ目的を達成することができるという思考形式をとり、罰則を立法に盛り込むことに執着する傾向もその延長線上のものである。

そのような修正がなされることの適否はともかくとして、制裁は強ければいいのだということが前面に出ることによって、法律で設けられている公表が理論的なものとなっているかどうかについては、多少割り引いて見なければいけない部分もあると思う。
では、これまで取り上げた公表制度について、感想的に項目ごとに記すこととしたい。

公表制度を制裁的に用いる場合には、勧告等の行政指導に対するものとするのが一般的であり、行政処分に対する制裁は罰則を用いるのが通常であろう。したがって、公表制度を用いる場合には、その前段の勧告等をなぜ用いるのか(逆に言うと、なぜ命令を用いないのか)という理由付けが重要になってくるのであろう。このような観点から1・2を見ると、次のように言えるのではないかと思う。

    • 特定の行政目的を実現するための手法として自主的な取組みを利用する場合には、その取組みが不適当だからといって直接行政処分に結び付けるのは困難であろう。そして、どのような場合に自主的な取組みを期待すべきかということについては、理屈上はすべての場合に考えることができるのであろうが(例えば、鉄道事業法に基づく公表制度は、規制緩和をするから自主的な取組みも行えと言っているようだが、その取組みを期待する論理的な必然性はないように思える)、たばこ事業法に基づく制度のように既に自主規定がなされているような場合や、持続的養殖生産確保法に基づく制度のように自主的な取組み自体が対象者の利益になるような場合には、そうした仕組みを取り入れやすいであろう。また、エネルギーの使用の合理化に関する制度のように対象者が遵守すべき基準を設定することが困難な場合にも、行政コスト等を考えると、そうした仕組みを考えてよい場合なのであろう。
    • 行政処分の基準を設定することが困難な場合には、勧告等の行政指導を用いざるを得ないが、これは一種の逃げであるから、安易に考えるべきではないのであろう。そして、弾力的運用をしたいので行政指導を用いるのだと言っても、公表まで行うのであれば、ある程度の基準は必要になってくるであろう。また、大規模小売店舗立地法に基づく勧告は、周辺の生活環境への影響にも着目して行うが、それは地域によって事情が異なり、一律の基準とすることができないので、そのような制度としているとされている。そうすると、自治体においては、地域ごとの実情に応じた制度設計を条例等で行うのであれば、このような理論はなかなか使い難いように思われる。
  • 「3 特定の行政目的を実現するためには、罰則を用いるよりも粘り強く行政指導等を行うことが適当との判断で、勧告・公表を行うこととしているもの(『制裁として用いる公表に関するメモ(5)』)」について

罰則を用いるとそれで終わりということになってしまうので、粘り強く行政目的を実現するための手法として行政指導・公表を用いるのだということについては、なるほどという感想を持った。
そして、このような理由で用いた行政指導・公表の後に行政処分や罰則を組み込むことは、理論的には適当とは言い難いということになってくるのであろう。
さらに、行政指導については粘り強く行政目的を実現するという意図は少なからずあるであろうから、行政指導後の公表が情報提供的なものであるならともかく、制裁的なものと整理するのであれば、行政指導後に公表するという仕組みを用いた場合に、その後に行政処分や罰則も規定することは、そもそも妥当なのかよく考えてみる必要があるのかもしれない。もちろん、威嚇のために抜かない刀を何本も置いておきたいということであれば、そのこと自体を否定するつもりはないのだが。

行政目的を達成するために、複数の手段を複合的に用い、その一つの手段として行政指導・公表を用いるというのは、考え方としてはあり得るのであろうが、このような用い方は、ありとあらゆる場面で公表を用いてもよいということになりかねないのではないか。

私的な契約に行政が介入する手法としてはやはり行政指導ということになるのであろう。そして、自治体の場合は、私的な契約に介入することを制度化することはあまり想定できないのであろうが、協定というものを制度化した場合に、それに反する行為に対して行政指導・公表という手法を採ることは考えられる。
なお、地区の協定などに定められた基準を遵守させるための手法としては、一般に命令・罰則を用いることは難しいとされているようであるが*1、その協定の基準を条例等に取り込むようにすれば(通常は規則へ委任して規則で定めることになると思うが)、命令・罰則という手法を採ることも可能かもしれない。

対象者に対してあらかじめ遵守する義務を課していないが、その必要が緊急に生じた場合に行政指導で対応するということは十分考えられることであろう。
したがって、特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律のように、勧告・公表という仕組みと命令・罰則という仕組みを事案ごとに用意することも考えてよいのであろう*2

  • その他

「7 情報提供義務に関する制裁として公表を行うこととしているもの(『制裁として用いる公表に関するメモ(8)』)」、「8 緊急時に国民への情報提供と併せて公表を行うこととしているもの」、「9 法的根拠なく行っていた公表を法律に取り込むこととしたもの」(ともに「制裁として用いる公表に関するメモ(9)」)については、その適否も含めて何とも言えないので、触れないこととする。
また、制裁という意味合いではないが、酪農及び肉用牛生産の振興に関する法律に基づく公表制度(「制裁として用いる公表に関するメモ(7)」参照)は、行政側の判断内容の適否を世論に問うという意味合いもあるとされているが、このような用い方も考えていいのかもしれない。
  
なお、これまで取り上げてきた公表制度は、直接相手方の権利・義務に影響を及ぼすものではなく、必ずしも法的根拠は必要ではないという考え方に立脚して制度設計されているのだろうが、制裁として用いる公表には法的根拠が必要であるという考え方に立つと、公表を用いることができる場面は限定されるであろう。しかし、私は、公表の持つ相手方への不利益性というものはあくまでも事実上のものである以上、制裁的な公表であっても法的根拠が必ず必要であるとまでは言えないように思っている。それは、条例に規定すればいいという安易な考えに流れることを懸念するということもあるのだが、公表を用いようとする事案における公表の意味を十分に考慮することが大切なのではないかと思う。

*1:例えば、島田茂「まちづくり紛争解決のシステム」芝池義一ほか『まちづくり・環境行政の法的課題』(P64)では「協定制度は、地区計画や建築協定のように、違反行為に対して法的強制力を行使することはできない」としている。

*2:同様な例として、種苗法がある。