続・外来語の使用

以前(2007年9月22日付け記事「外来語の使用」)、例規文における外来語の使用について取り上げたことがあったが、前回取り上げた、井上ひさし『日本語教室』に外来語の使用について考える上で参考となる記載があったので、それを取り上げることにする。
上記の記事で、法令で外来語が用いようとする場合、それが日常用語として定着していない場合は、音訳するか、意訳するかして、片仮名書きの外来語ではなく、漢字に置き換えたものが用いられるとする文献の記載を引用した。
これは、明治期によく用いられた方法のようである。前掲書(P99)には、次のように記載されている。

常用漢字だけでも3百何万*1の組み合わせができるということは、大抵のことは(漢字で)*2表現できそうです。で、この特徴を使ったのが、明治時代の学者たちでした。西洋にあるもので、日本も取り入れるべきだというものを、すべて漢字を使って翻訳していったのです。

このような傾向について、夏目漱石は、否定的な考え方をとっていたようであるが*3井上ひさし氏は、前回取り上げた「権利」や「自由」*4といった例外はあるものの、全体的には肯定的に捉えている*5
しかし、漢字はもともとは日本のものではない。現在の日本語の状況について、前掲書(P91)は、次のように記載している。

私たちはいま、昔からのやまとことばである和語と、中国から借り入れた漢字を使った漢語と、欧米から借りた外来語を一緒にして、微妙に使い分けながら生活しています(前掲書(P91))。

この外来語、特に英語が日本語に入ってきているのは、まさしく現在見られる現象である。そして、井上ひさし氏は、グローバリゼーションを考えるとある程度やむを得ないものと考えられている。そして、前掲書(P172〜)には、次のように記載されている。

ぼくは外来語をできるだけ使わないようにしてきましたが、少し考えが変わってきました。誰もが意味を知っていて、それを使ったほうが便利だという言葉については排除せずにきちんと使う。しかし、わかっているつもりでも本当のところはわかっていない言葉を使って考えるのは非常に危険なことだから、乱発はしないー今はそういう態度で外来語に向き合おうと思っています。

結局、漢字も外来語も日本固有のものではないことは共通であって、外来語だからという理由のみで例規に使用しないという態度も取るべきではないことになるだろう。もちろん乱用することは慎まなければいけないが。

*1:当時常用漢字は1,945字あり、2字組み合わせるとどれだけの概念が発生するか考えたときに1,945×1,945=378万3,025個となるということ。

*2:管理者注記

*3:前掲書(P100)には、「漱石が、ご存じのように、こんな安普請で、向こうのものを持ってきて大丈夫かというようなことをエッセイや講演でしきりに言っていますけれども……」と記載している。

*4:前掲書(P102)には、「『フリーダム』もそうです。福沢諭吉が『自由』と訳しています。中国伝来の『自由』は、『我が儘勝手のし放題。思うまま振る舞う』という意味なのです。それを当てちゃったんですよ、『フリーダム』と『リバティー』に。でも、『自由』という言葉は日本人の遺伝子にはよくないこととして染み込んでいます。ですから、『自由のはき違え』とかよく言われますし、年寄りはほとんど『自由』を敵視することになりました。」と記載されている。

*5:前掲書(P103)には、「ともかく明治の初期は、大変みんな頑張って、いい言葉を次々に作っていきました。」と記載されている。