「協働」

我孫子市長で中央学院大学の福嶋浩彦教授は、『時の法令NO.2019』(P41)において、一般に「協働」という言葉で語られている連携であっても、責任や権限の持ち方は全く違うものがあるとして、次のように記載している。

「協働」という言葉は、もう使わなくてもよいと考える。普通に「連携」「協力」と言えばよい。連携や協力ならいろんな関係があると誰もが思う。しかし、協働と言うと何か特別な一つの関係だと思ってしまい、実際の責任や決定権がかえって曖昧になる。

私は、「協働」という言葉を聞くと、十数年前のまだ「協働」という言葉が法律で使用例がない頃、原課から条例で使いたいとして相談を受けたことを思い出す。
今では「協働」という言葉は、普通に法律でも使われており、むしろ安易に使いたがる言葉になってきている。例規審査をしていた頃、原課の案で住民と連携しようがない施策についても「協働」という言葉が判を押したように用いられていたことがあり、時には「一住民である私とどのような協働をしたいのか言ってみてくれ」と言って、その言葉を使うのをあきらめてもらったこともある。
福嶋教授とは多少意味合いは違うのかもしれないが、私は、ある施策で民間団体と協働するという場合、協働することが自己目的化してしまい、本来その施策で果たすべき効果を考えないような風潮を感じ、辟易していたこともあったので、「協働」という言葉を使わなくてもよいのではといった考え方には大いに賛同するところである。
言葉は変わるが、防災対策を考える場合に「減災」という言葉がよく使われる。つまり、災害に対して被害をゼロにすることはできないので、「防災」ではなく「減災」を目指すべきということであるが、最近防災の専門家が、「減災」という言葉は被害があってもいいと考えることを肯定することになるので適切でなく、行政としては「防災」を目指すべきと述べるのを聞いた。
はやりの言葉には、賞味期限があるということかもしれない。