分かりやすい文書の功罪

文句をつけたくなる公的文書の圧倒的「わかりにくさ」
(略)
昨年出版された「やさしい日本語」(庵功雄著、岩波新書)には、わかりにくい公的文書をわかりやすくした「公的文書の書き換え」の例がいくつか出ています。その一つが、「保育園の入園について」の「入園基準」を示した文書です。
公的文書では、入園基準の一つが「昼間に居宅外で労働することを常態としている場合」と書かれていました。
なんだか難しい感じがしますが、これは「昼、いつも外で働いている場合」と書き換えられています。なるほど、ずっとやさしく、わかりやすくなっています。
一読で理解できない“悪文”
次のような「県営住宅入居者募集」の文書も例としてあげられています。
入居者が60歳以上の方又は昭和31年4月1日以前に生まれた方であり、かつ、同居し又は同居しようとする親族のいずれもが60歳以上の方若しくは昭和31年4月1日以前に生まれた方又は18歳未満の方である世帯。
一読ではとても頭に入らない文書です。“悪文”といってもいいでしょう。
本書によれば、「入居者が60歳以上の方又は昭和31年4月1日以前に生まれた方」というのは、「この文書が公開された時点で53歳以上の人」を意味するそうです。したがって、元の文は、以下のようにかなり形をかえて書き換えられています。
県営住宅に住むことができるのは、次の2つの条件に合う世帯だけです。
1 申し込む人(入居者)が53歳以上である
2 いっしょに住む人の中に、18歳から53歳までの人が1人もいない
これならわかります。書き換えにあたっては、まず内容を的確に把握し、それを伝えるための書き方を考えた上で提示されていることがわかります。
毎日新聞<経済プレミア>2017年7月19日

分かりやすい文書にする重要性は言うまでもないのだが、上記の書き換えが「内容を的確に」表現したものとなっているかについては、疑問を感じる。
「昼間に居宅外で労働することを常態としている場合」を「昼、いつも外で働いている場合」に書き換えた場合、「外で」としてしまうと、屋外でないといけないような感じを受ける。
また、「昭和31年4月1日以前に生まれた」者の書き換えは、単に53歳以上としてしまうと、そのボーダーにいる人にとっては、実際に自分が対象になるのかどうかよく分からなくなってしまう。また、「親族」という言葉を無くしてしまうのも、不正確になってしまうだろう。そうすると、上記の条件の部分は、次のようにすることが考えられる。

1 入居者が○年○月○日現在で53歳以上であること。
2 同居の親族が次のいずれかであること。
(1) ○年○月○日現在で53歳以上であること。
(2) 18歳未満であること。

ところで、上記の記事は、続けて次のように記載している。

先の二つの公的文書は「なぜ読み手のことを考えてわかりやすく書かないのか」と、改めて思わざるを得ません。一般に公的文書は、なにか権威をもたせようとしているのか、漢字の熟語がたくさん使われ、その分難しくなっています。さらに内容に間違いがなければいい、という考えで作成されているという印象を受けます。その最たるものが法律の文書でしょう。
一般人は読んで意味がわからなければ、「すいませんが、教えてもらえないでしょうか」と、役所などに尋ねなければなりません。最初からわかりやすければ必要のないことです。
伝える相手の能力、知識はさまざまです。公的文書はもっとも多くの人を対象とするという点で、わかりやすさを追求しなければならないものです。しかし公的文書に限らず、どういう人が読むのかという想像力を働かせることは、あらゆる文書作成について必要です。その意味で、「やさしい日本語」という考え方をぜひとも学びたいものです。

上記記事の書き換えは、分かりやすさというよりも、読みやすさを重視し、正確性を犠牲にしている面があるため、これであれば役所などに問い合わせる必要がなくなるというものでもないし、かえって読み手が不正確な理解をすることで誤解を生み、トラブルとなるおそれがあるだろう。「内容に間違いがなければいい」という意識は問題があるが、公文書は、小説ではないので、間違いがない、もっと言うと正確に読めば読み間違うことがないということが大前提とならざるを得ない。
「読み手のことを考える」ということは、読み手がどのような人であるかということを考えるということだろう。例えば、上記の「県営住宅入居者募集」であれば、その読み手は県営住宅に入居を考えている者であるから、自分が入居できるかどうかという観点から読むであろう。そうした観点からすると、上記の書き換えでは、人によっては入居できるかどうかの判断に疑義が生じることになる。残念ながら、上記の書き換えは、書き手が分かりやすい文書だと思っているに過ぎないように感じる。