「することができる」は「しなければならない」なのか

最近、「『取り消すことができる』と書かれている規定について『取り消さなければならない』という運用をしていると言われたが、そんなことがあるのか」と聞かれた。
一般的には、「取り消すことができる」とされていれば行政庁に効果裁量を認めた規定であり、「取り消さなければならない」とされていればそれを否定していると考えられている。実際、次の割賦販売法の規定のように、同一の条文で書き分けている例もある。

(許可の取消し等)
第23条  経済産業大臣は、許可割賦販売業者が次の各号の一に該当するときは、その許可を取り消さなければならない。
(1)〜(4) (略)
2  経済産業大臣は、許可割賦販売業者が次の各号の一に該当するときは、当該許可割賦販売業者に対し、三月以内の期間を定めて前払式割賦販売の契約を締結してはならない旨を命じ、又はその許可を取り消すことができる。
(1)〜(6) (略)
3〜5 (略)

しかし、「取り消すことができる」と規定されていても、行政庁に全くの自由裁量が認められると解されているわけではない。たとえば、北村喜宣「『義務的取消し』と効果裁量―一般廃棄物処理業許可への適用の一断面」『自治研究(第89巻第5号)』(P31)では次のように記載されている。

「取り消すことができる」というように、行政の権限行使にあたって裁量が与えられている規定ぶりになっている場合でも、行政にまったく自由な判断余地が与えられているわけではない。行政に権限を与えている根拠法の制度趣旨に鑑みて、常に的確な権限行使が義務づけられていると考えるべきである。それは、ある場合には、取消しをしないという裁量権行使が適法とされるということであり、別の場合には、それが違法とされ取消しをしなければならないということである。

では、「取り消さなければならない」と規定されている場合はどうだろうか。上記論文では、一般廃棄物処理業許可の取消しに関し、要件に形式的に該当した以上、取消しを原則とすることは当然ではあるが、過度に硬直的な運用をするべきではなく、法律の制度趣旨を踏まえて合理的に目的論的解釈をすべきであるとしている。
このような考え方は、一般廃棄物処理業の許可に関するもので、一般的な考え方とはいえないのかもしれない*1
しかし、法律の制度趣旨を踏まえて解釈するのであれば、いずれの規定の仕方であっても結果は同じようなものとなるのではないだろうか。

*1:上記論文では、一般廃棄物処理は、そもそも市町村事務であり、処理を計画に即して進めるのが困難であるから許可を与えて処理業者にさせるのだから、ほかの業者では代替しえないような場合には、権限行使について一定の考慮を行うことは許されるとしている。