届出制とその規制手法について(追記)〜公表

公表について考える上で、公表を企業(法人)に対する刑事制裁として用いることができるかどうかについてに関してであるが、川崎友巳『企業の刑事責任』(P471)に興味深い記述があるので、それを次に記載する。

氏名公表制度に対しては、制裁の効果が、社会のリアクションに左右されるという不確定要素を含んでいる点が指摘されている。刑事制裁の効果は、責任の重さに比例しているべきとすれば、こうした不確定要素は軽視できない。
また、そもそも、こうした制度が、企業にいかなる不利益処分をもたらす「制裁」なのかという点についても問われねばならない。もし、その内容が、企業イメージやブランド力の低下であるとすれば、この制度は、実質的には、名誉刑として機能していることになりはしないだろうか。だとすると、現在、名誉刑をもたないわが国において、有罪企業の公表は、許容される手法なのだろうか。これに対して、取引の減少による売上げの低下など、間接的な経済効果を期待しているとすれば、なぜ直接的な手段で財産を剥奪しないのかが問われることになろう。

もちろん、上記は、公表を刑罰として用いることができるかどうかという観点からのものであり、そのまま妥当しない部分もあるが、条例で公表を制裁として用いる場合にも同様に考えてみるべき点が多く含まれていると思う。
現実問題として、司法権を持たない自治体としては、条例の実行性を確保するための手法について考える必要はあるであろう。そして、その手法の1つとして公表を考えるときに、それは制裁のためのものであって、言わば罰則の代替手段であると考えてしまいがちであるが、制裁という狭い意味ではなく、もっと広い見地から、行政目的を実現する手段として、公表をどのように使うことができるのかという観点から考えるべきなのではないだろうか。
例えば、前掲書(P470〜)では、公表のほかに、営業免許・許認可の取消しと業務停止、解散命令についても法人に対する刑罰として考えられないか取り上げている。これらは、あまり罰則の代替手段のようには考えられていないのではないかと思うが、そのような仕組みについても、副次的には制裁の意味を持つものと考えられていることになる。
公表も同様なのではないだろうか。つまり、公表にも当然制裁という意味はあるが、それは副次的なものであって、やはり「公表」という以上、あくまでも一義的には情報提供であるという視点で、どのような行政目的の実現に公表という手段が適当なのか考えていく必要があるのではないかと思っている。